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2023年07月19日

奈良県吉野に今も残る 日本最古のすし屋「つるべすし 弥助」


 「すし」は今や世界中の人に愛される日本食を代表する料理です。日本では回転すし店の広がりにより、子供から大人まで老若男女が好む国民食の一つに成長しました。
 すしのルーツは魚に塩、米飯を加えて発酵(主に乳酸発酵)させることにより作られた「ナレズシ」であると言われています。琵琶湖の「ふなずし」は今でも食べられている「ナレズシ」の1種です。長期間の発行により米粒は形がなくなるまでくずれてしまうため、魚肉だけを食べます。発酵させることにより酸味やにおいが付与され、食べなれないとそのおいしさを理解するのが難しいようです。冷蔵などの技術が普及していなかった時代には、貴重な動物性タンパク質を保存する知恵でもありました。時代が進むと発酵時間が短縮され、ある程度酸っぱくなるが米の形が残る米も魚と一緒に食べる「ナマナレ」が作られるようになりました。和歌山の「さんまのなれずし」や滋賀の「鯖ずし(よく知られている京都の棒鯖ずしとは違い1ヶ月ほど発酵させる「ナマナレ」ずし)」などがそれにあたります。一方、現代一般的に食されるすしは18世紀ごろにできた「早ずし」である。ご飯に食酢(合わせ酢)を加えて酸っぱい味に仕上げたものですが、「早ずし」にはさまざまな形態があり、酢飯の周りに魚をかぶせた「棒ずし」、逆に具を酢飯で包み海苔などで巻いたものが「巻きずし」、油揚げに酢飯を詰めた「いなりずし」、酢飯を握って具を乗せた「にぎりずし」、酢飯に具を混ぜたり上に飾ったりした「ちらしずし」、他にも「箱ずし」や「押しずし」など様々な「すし」が作られています。
 

 奈良県吉野郡下市町にある「つるべすし 弥助」(右写真)は創業800年以上を誇る日本最古のすし屋で、歌舞伎の「義経千本桜」三段目「すし屋」の舞台にもなっています。現在のお店は昭和14年(1938年)に建てられたもので、赤い壁が特徴的なベンガラ造りです。5・15事件で殺害された犬養毅や作家の吉川英治、歌舞伎俳優の18代目中村勘三郎など多くの著名人が訪れたそうです。私はNPO法人奈良の食文化研究会で活動していますが、7月19日の奈良新聞に掲載されたコラム記事「新大和の食模様」の取材のため訪れる機会をいただきました。

 店名の由来になっている「釣瓶(つるべ)ずし」は左写真のような桶を作って作られていた「アユずし」です。5日間ほど発酵させる「ナマナレずし」で、作り方は腹開いたアユに塩をし、酢を通しておき、桶底に捨てジャリを詰め、その上にアユを敷きシャリを詰めます。これをもう一度繰り返し桶に敷き詰めて桶の上に適度にはみ出すまで重ねていきます。桶の内縁にまわした竹の皮で、このはみ出したすし飯を包み、ちょっと圧石をしてから、おさえ板と藤づるでかたくしめます。井戸水を汲み上げる桶の形に似ていることから、釣瓶ずしという名がついたそうです。今は「釣瓶ずし」は作られていないようですが、今年の6月からは50代目としてお店を継がれた宅田太郎さんが天然アユを使った料理を提供されています。かつては吉野杉で繁栄した下市ですが、現在は人口も三分の一ほどに減少してしまいました。宅田さんは地元の方たちと協力しながら地域を盛り上げようと頑張っておられます。これからも食文化を後世に伝えられるよう応援していきたいと思います。