佐保の物語・鹿野園の由来

うちのぼる佐保の川原の青柳は今は春べとなりにけるかも、 と万葉集にもうたわれる「佐保」。
奈良佐保短期大学の「佐保」は大学の設立母体である奈良女子大学同窓会「佐保会」に縁のある言葉です。
ところで「佐保」には、どのような意味があるかご存知ですか。
実は『古事記』『日本書紀』には『佐保の物語』が掲載されているのです。
奈良佐保短期大学の住所は「奈良市鹿野園町(ろくやおんちょう)」。 ちょっと変わった地名ですね(皆さんは読めますか?)。
なぜそのような名前がつけられたのでしょうか。 実は「鹿野園」は、歴史的にみても大変ユニークな名前なのです。
今回は「佐保の物語」「鹿野園の由来」をレポートします。

佐保の物語

By:情報メディアセンター

「うちのぼる佐保の川原の青柳は今は春べとなりにけるかも 佐保川の清き川原に鳴く千鳥かわずとふたつ忘れかねつも」
などと万葉集にも歌われた佐保川の川辺、今の一条高校あたりに、はるか昔、佐保彦・佐保姫の兄妹がいました。

二人は、開化天皇の御子で、佐保姫は垂仁天皇の后でありました。
ある時、兄が佐保姫に「夫である天皇と、この兄と、どちらが愛しいか」と尋ねましたので、
佐保姫は「兄上の方が…」と答えました。
すると兄は「では天皇がお休みになっている時にこれでそのお首を刺しなさい」と言って小さな刀を授けたのです。
何も知らずに佐保姫の膝を枕に眠っておられる天皇のお首めがけて佐保姫は三度刀を振り下ろそうとしますが、
愛する思いに耐えきれず、涙をその寝顔の上にはらはらとこぼしました。
すると、天皇は目覚めて
「今不思議な夢を見た。佐保の方角から暴雨が降ってきてにわかに私の顔を濡らし、小さな蛇が首にまとわりつく夢だ」とおっしゃいました。
佐保姫がすべてを告白すると、天皇は「危ういところであった」と、軍を起こして佐保彦の稲城(とりで)を攻撃しました。
その時、佐保姫は兄を思う気持ちに耐えきれず、宮中の裏門から抜け出して、兄の稲城に入ったのです。

天皇は、佐保姫を愛しく思う気持ちから、総攻撃をかけることができず、日が過ぎるうちに、妊娠していた佐保姫が男児を出産します。佐保姫は「もしこの子を天皇の御子と認めてくださるならお連れください」と申し上げます。
天皇は、家来に、佐保姫が御子を抱いて出てきたところを、
必ず髪の毛でも手でも何でもつかんで引き出して連れ帰るよう命じます。
しかし、夫の気持ちを察していた佐保姫は、髪の毛をすべて剃り落としてカツラにしてかぶり、手には、酒に浸して緒を腐らせたブレスレットを三重に巻き、同じようにして腐らせた着物をそっと着て、御子を抱いて出ていったのです。
家来が髪をつかもうとすると抜け落ち、手をつかもうとすると玉の緒が切れ、着物をつかもうとすると破れてしまい、結局、后を連れ帰ることはできませんでした。

天皇は佐保姫に問いかけます。
「子の名というものは母親がつけるものだ。この子の名をなんと付ければよいのか」
「今、この稲城を焼くときに火中で生まれた子ですので火内別(ホムチワケ)の御子と名付けてください」
「どうやって育てればよいのか」 「乳母を雇い、大湯坐・若湯坐を雇ってお育てください」
「あなたの結んだわが衣の紐は誰が解くのか」
「丹波のミチノウシの王の娘、エヒメとオトヒメの姉妹が清らかな乙女なのでお使いになってください」
こうして、万策つきて天皇は、仕方なく総攻撃を決心します。佐保姫は、兄である佐保彦に従って亡くなりました。

佐保姫の物語は、天皇の愛と兄への愛の両方を貫こうとした、愛の絆の物語。佐保姫は謀反人の妹だったために祀ることは難しかったそうですが、佐保の地域の人々は佐保姫を密かにお祀りしたそうで、大和名所図会には「佐保姫の墓」が小さく記されています。ところで「佐保」は平城宮の東側を示す地名を示しています。「東」方角を四季に配すると春にあたるところから、「佐保姫」は春の女神といわれているそうです。

鹿野園の由来

奈良佐保短期大学が建つ「鹿野園」という地は、日本の朝廷の懇請により来日したインド僧菩提僊那(ボダイセンナ)によって名付けられました。菩提僊那は751年(天平勝宝3年)に僧正に任じられ、翌752年(天平勝宝4年)4月9日には東大寺盧舎那仏像(東大寺の大仏)の開眼供養の導師をつとめた人です。
鹿野苑(園)とはサールナート(Sarnath)の漢訳。インドの地名で、ヴァーラーナスィー(ベナレス)の北約10kmに位置する、仏教の四大聖地のひとつです。遺跡の周辺には今も昔も鹿が多く住んでいるところから鹿野苑(ろくやおん)と表されています。
この場所は、悟りを開いたブッダが初めて説法した、仏教の聖地を意味します。
ブッダはこの地で自分の覚った真理を初めて語ったのですが、この説法をはじめて聴いたのが、修行者5人と、ここに住む鹿だったと言われています。
「鹿野園」は、ブッダが最初に説法した「鹿野苑(ろくやおん)」に似ていたために、そう名づけられたのでしょうね。
私たちも由緒あるこの地で勉学に励み、夢を語れば、真理を追究できるでしょうか。